多事雑論003 歴史 ~源家康と徳川次郎三郎~

平安時代ぐらいまでは「中臣鎌足」「藤原道長」「平清盛」「源頼朝」のように姓と名の間に「の」が入るが、
鎌倉時代あたり以降は「北条時政」「新田義貞」「伊達政宗」のように姓と名の間に「の」が入らなくなる。
これは、どういうことなのか。

昔の日本人(庶民を除く)の名前には、バッサリ言うと「上の名前」が2つ、「下の名前」が2つある(※ここでは官職名等を除く)。
・A:上の名前①「本姓」:血族集団(=氏)に対して朝廷から下賜されたもの。公的な場面で用いられる。
・B:上の名前②「名字」:本姓では括りが大きすぎるため、家単位で小区分。所領の地名などを名字とした。
・C:下の名前①「諱(いみな)」:本当の名。「忌み名」と書くことでもわかるように、通常は使用を忌避される。
・D:下の名前②「字(あざな)」:諱の使用を憚って、通常使われる呼称・呼び名。通称。

例:徳川家康(フルネーム「徳川次郎三郎源朝臣家康」)の場合、A『源』B『徳川』C『家康』D『次郎三郎』。
つまり、A~Dの組み合わせで、「源家康」にもなるし、「徳川次郎三郎」にもなる。
本姓は公式な姓・名字は非公式の私称。従って公的文書には、例えば足利尊氏は「源尊氏」、織田信長は「平信長」と署名している。

本姓とイミナ「A+C」の間には「の」を挟んで読むのが通例。藤原不比等、橘逸勢、紀貫之、源義経のように。
名字とイミナ「B+C」・名字とアザナ「B+D」の間には「の」を挟まない。武田晴信、毛利元就、真田信繁、加藤清正のように。

教科書表記上、戦国時代あたり~明治初期までは「B+C/B+D」が混在している。より一般に普及している名が採用されているようだ。
例1:B+D(戦国期):黒田官兵衛[孝高]・竹中半兵衛[重治]・山中鹿之助[幸盛]など。他の武将は大抵「B+C」。
例2:B+D(幕末期):坂本龍馬[直柔]・武市半平太[小楯]・近藤勇[昌宜]・土方歳三[義豊]・高杉晋作[春風]など。
例3:B+C(幕末期):西郷[吉之助]隆盛・大久保[一蔵]利通・伊藤[俊輔]博文など。

そして明治初期、「通称実名を一つに定むる事」「平民苗字必称義務令」等によって、全ての日本人の名前は「名字ひとつ+名前ひとつ」で構成されるようになった。

ところで、豊臣秀吉という名前。「豊臣」は朝廷から賜った「本姓」、つまり上記でいうAに該当する。
したがって、本来「とよとみ『の』ひでよし」と読むのが正解。
大河ドラマ『真田丸』で、小日向文世氏演じる秀吉が「豊臣『の』秀吉である!」と名乗るシーンがあったが、それはこういうことなのである。